物々交換

 

 人生を良く考えると、物々交換だなぁと感じる。世に言う「飲む・打つ・買う」を考えても、酒飲みは、

命と交換、ばくち打ちは、家族の生活と交換、好色は人生と交換です。

 食べ過ぎは、肥満や糖尿病を生み、みっともなさや、病気と交換、楽な事ばかりを考える者は、

周囲の信用や経済を失う、またあまりにも金銭や経済のみを追求すると、友達や家族を失って

しまいます。例え形として家族の形態を成していても、中味が消失しまいます。

 人は色々な面において、何かと交換をしながら生きているのです。

でも、お金で解決できる方法は少ないようです。

運動が嫌いなものが、健康を失う、食べ過ぎて健康を失う働き過ぎで、健康を失う、飲み過ぎて

健康を失う、お金を出して解決する問題は、何ひとつ無い。

師曰く「神様を信じるな、神様に信用して戴ける心を育てろ」と習いました、信仰とは、

正しい物々交換が出来る心と智恵を育てる、場所なのかも。

  笠沙山から旭町を望む

      長い鍼

 

 今から十数年前の事です、方財町から七十歳前後の男性がひどい腰痛と坐骨神経痛で

困って来院された事がありました。

 この方は延岡市内の病院をくまなく回り、治癒の可能性が無いと判断、友人の紹介で

山口県まで針治療に行った話をしていました。

 結果、中国針での治療を受け症状は改善したのですが、継続して治療が出来ないので、

又元に戻ったと・・・・

 

  

故郷への山道 

 腰痛が主因の坐骨神経痛で、通常、根性坐骨神経痛と呼ばれるものです。腰の神経

の出口と坐骨神経叢と言う神経の塊の部分が治療の対象になります。

 

 人にもよりますが、坐骨神経叢は、大殿筋・中殿筋、小殿筋の下にありますので、

皮膚より直刺で6cmほど深い場所にありますので、一般的に使われる針では、届きません。

 

 そこで治すべき治療をする為には、「長針」と呼ばれる鍼を使用しなければなりません。

 

 患部に届く鍼は、最低3寸の長さが必要です。皮膚より直刺すると2寸で足りるのですが、

直刺では筋肉を傷めるので斜刺するのが普通です。十分に患部に届く治療鍼を選ぶなら、

3寸5分(十五cm程)の鍼を選択すると確かでしょう。

 

 その男性は、延岡より山口県まで行き、この長鍼による治療を受けられたのです。

山口までの交通費、宿泊費、そして治療費、七千円を支払い治療して頂いたのです。

 

 私が「この様に治療したのでは」と長鍼による斜刺をするとビックリし「延岡でも出来るとは、

知らなかった」と喜んで、この話をされました。

 

 人はなぜか「遠くに治療に行くと、特別な気持ちになる」のでしょう。でも近くで本物の治療を

行える治療家も、沢山います。

 

 私は元医療器械販売業で九州地区のあらゆる鍼灸院、整骨院、整形外科を回りました関係で。

治療のレベルはよく判っています、

その立場から申し上げて、延岡と言う地域の、鍼灸の技術レベルは九州館内ではトップレベル

にあり、九州全域から治療に来るのが当たり前なのですが、地理的環境なのか、延岡の人達の

「自信の無さ」なのか、福岡から、熊本から治療に見えられたとの話が少ない。

 

 延岡地域の鍼灸の素晴らしさを、各地で病に苦しむ人達の為にも、自信をもって宣伝すべき

と考えます。

 

 

  改 革

 

 今回の県知事選挙で安藤忠恕氏が当選をされました。メインテーマは「改革」です。

宮崎県を真に改革して頂ける事を、心より期待をします。

 

 「改革」と言う言葉を最近良く聞きます、医療現場でも「医療ミス」が発生する度に

「二度とこの様な事の無い様に現場を改革して」と一応に頭を下げます。

 

 我々も医療の一部を担うものとして「医療改革」と言う現実を離れては、経営が成り立ちません。

では、医療現場での「改革」はいったい何なのでしょう。

 

 改革と称して、白衣をカラーに変えました、先生が優しくお話をするようになりました。

治療法を詳しく説明(インホームド・コンセント)するようになりました。

 本当にこれらの事が、医療改革でしょうか。

 私は「医療改革」この程度の事で、あっては為らないと思います。本物の改革は、

医療の主目的を達成するところに有ると思います。

野道の芋室

   

 

 患者を含む、一般の人達は、なぜ健康保険料を支払っているのかという問題です。

 現在の医療費は、治しても、治さなくても、料金は同じです。つまり治療費なのです、

これこれ治療しました、よって○○円です。「治して○○円では、ないんですか」

 

 保険料を支払っている、医療の利用者は「治す料金」として保険料を支払い。

医療者側は「治療をする料金」頂いている、よって治さなくても料金が変わらない、

出来れば治さないで続けて治療できる方が良いと言う事になります。

 そこに矛盾が生じているのです、利用者の意見を主目的にして健康保険を

「治癒する料金」と規定する事が正しい改革です。

 

 これからは、治さない治療は「無料奉仕」ボランティアにし治った時に保険を請求する、

すると保険料も下がるし、また治せない病気を悪戯に継続する医師も少なくなると

思います。

 

改革の名を借りて、中途半端な修正で、世の中を益々悪くするような事の無い様にして

戴きたいと切に希望しています。

 

  責任者

 

 完全な

    治療法は存在しない

 「絶対治す」と思う心が

    奇跡の治療法を

         生み出すのだ

 

今月のテーマを色紙にと書きました、意味はその通りなのですが、治療する側も

また受ける側にも、どちらにも同じ事が言えるのです。

 誰かが一生懸命にやってくれると、そしてその恩恵を私が受けるという事は無いのです

「自分が責任者」。

 

 治療を受ける者が、本気で「絶対治す」と思うと、治療する側も、その気につられて、

必死になるものです。この程度でよかろうと思うと、周囲もこの程度になるものです。

今までに数百と言う「奇跡」を目の当たりにしてきました。

いつも、冗談まじりで言うのですが「もし、私の治療院の治療験談を記載するとしたら、

朝日新聞一年分の紙面が必要だと」

 

 本気で痛み悩んでいる人達と、本気で接していたら、

前記の言葉が飛び出したのです。

 

どうぞ、だれでも、奇跡は起こせるのです、そのチャンスは平等にあるのです。

後は、本気で思うか、思わないかです。

 

今日、高校生との話しです、現在は相対的な結果(評価)を求めます。全体の中で、

私は何番目にいる、この試合で何番目に入賞したと、

 

でも絶対的な結果(評価)が大切な事もあるのです。私は本気に努力した、死ぬ気になれば

何でも出来ると。「楽で便利な方法があるのだからと思う心を、もう止めようと思う心を打ち勝

まかした」それが絶対的な評価。

 

 現代は、便利・簡易・楽により多くの物を、手に入れる事を最大の目的にしています。

でも、その方法では手に入らないものが多いのです。

 

特に心(想い)に関するものは総てです。

 

 恋人にプレゼントする時に、両親におねだりして、買った物と、本人か汗してアルバイトで稼いで

買った物、受ける側、そして送る側、どちらが嬉しいですか、どちらに心があります。

 

 私が治療院を開設して、初めてお金を戴いた日に、家内に言いました。

「これからは、人様に感謝して戴いた、お金で生活できる」

「私の人生、稼ぎの多い少ないでの競争は終わった」と

 

 絶対とは、己が心にだけに存在できる言葉です、正しき絶対とは「私の人生、私が責任者」。