心の捉われ              







久住高原の霧

九十九曲の霧

九重山

   水子を背負う〔自在を失う〕


 背中が板のように硬くなってしまって、肩が痛くてたまらない。
 「何を背負って来たの」「先生、なんですか」
 「よく、色々なものを背負って来られるものですから」
 「水子の霊ですか」「うん、それもある」

 治療室での会話である。
 決して「霊」が人に悪さをしているのではない。
 でも、人は色々な物を背負う。


 仕事や人気そして名誉と言う欲を背負う。
 失望や恨みそして生じる、心の葛藤を背負う。
 失恋や別居、離婚、親子の離別、生死の哀しみを背負う。
 人は色々背負って治療に参ります。

 「心の重荷」おりると元気になります。
 それには「心」を、揉みほぐす術が大切です。


 幸せに生るには、楽しくなければなりません。
 楽しくするには、囚われた心を解放しなければなりません。
 他人が心を捕らえる事は無い〔そう想っているだけ〕
 本当は自分自身に囚われているのです。


 「水子の霊を背負っている」

 いや、水子はいないのです。
 水子を生じさせた事の、悔いと哀しみを背負っているのです。  
 すませると「済みません」の詫びが消失します。


 はやく、済ませる、清ませると
 心の囚われから、心が解放されます。
 肩の荷もおります